前章では、ワンネスの導入部分というべき考えを、お伝えしました。われわれは、肉体を使ってしか世界を知りえない。では、世界を勝手に解釈していたことをやめて、眺める世界はどのようなものであろうか?

いい例があります。シュレディンガーの猫というのはご存じでしょうか?これが、われわれの解釈を通さない真の世界であろうと思います。無秩序な世界。無秩序と書くと、悪いイメージがありますが、いえ、無秩序に対して良いとか、悪いも勝手な解釈です。逆に、秩序というのが自然に逆らっているといいますか。この猫は、われわれが観察しなければ、そのままいろいろな状態で存在し続けたままでいるということです。というか、猫でさえ未分化されているのでしょうね。

これを理解するための一つの手助けとなるのが、時間の考え方です。われわれは、時間は過去から現在を通って、未来へと流れていると思っています。しかし、これも解釈なのです。時間もわれわれが解釈しているから、流れていると感じるのです。シュレディンガーの猫も、時間が与えられていない状態だと理解してもらえたらと思う。時間の解釈は、記憶が大きく関係している。例えば、全身麻酔や寝て起きたときを想像してもらえるとわかりやすい。自身の体感でいうと、寝ているときの時間が飛んでいるけど、時間が経過しているとわかる。これは、記憶によるものが大きい。記憶は時間が流れていると感じさせる要因である。そして、記憶は、自然に発生したものである。自然に発生した遺伝子というのが、継承をつかさどり、記憶へ発展していったのではないか。

記憶も生きるというためにうまれた存在。時間が流れるというのも、人類がうみだした解釈なのだ。欲が世界を秩序づけるために時間の流れもうみだした。肉体があるゆえの束縛。そこから解放された世界には、時間は流れていない。まさに、シュレディンガーの猫のような状態。鉛筆で殴り書きしたようなイメージ。そういうと誤謬があるが、われわれが決して想像できるものではないが、一つの崇高なる存在。いや、存在というのもまた違う。存在といえないことについて、このあたりは、次章で説明したいと思います。

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